選挙を棄権すると自民党が有利になる? | 国政報告 おおさか佳巨 福島県[県中]の生活

国政報告 おおさか佳巨 福島県[県中]の生活

世の中に必要なものは必要になります。
例え、今は笑われてもです。
限界が来るものについては、捨てなければ生きていけないからです。

1993年に自由民主党は結党以来初めて政権の座を降りた選挙があったのだが、この時の投票率というのは戦後史上最低であった。それまでは衆議院総選挙の投票率は七割越えが当たり前であったのが、67.26%という最低を記録した。

 

 

この時、新生党、日本新党、新党さきがけが議席を大きく伸ばすのだが、これらの三つの政党はいずれも保守政党であって、それまで自民党を支持していた人々がこれら三党に投票したという分析がなされている。

 

その後は60%前後に留まり、低投票率となっていくのだが、小泉劇場と呼ばれて郵政民営化解散が起きて、日本中が大騒ぎになる。それまで投票には行かなかったような人が続々と投票所に足を運んだとされた2005年は67.51%と、それまでの投票率よりは上がったものの、爆発的に上がったわけでもない。それまでが低すぎたのでそう感じたに過ぎない。

 

この選挙では民主党を支持していた人も自民党の候補者に票が流れた。抵抗勢力となった元自民の候補者を追い出すため都市部ではそのようなことが起きたが、農村部では郵政民営化に反対した無所属候補が当選することはざらにあった。

 

その次は、2009年の民主党政権誕生の衆議院総選挙だ。ここでは確かに投票率が上がっている例外的な選挙だった。郵政解散の総選挙の時よりはやや高いが爆発的な上がり方ではない。

 

他にも地方選挙をよくよく調べてみると、現職の都道府県知事や市町村長などの首長が落選して、野党候補が勝った場合の投票率を見てみると、それほど高いわけでもなく、むしろ低投票率で労働組合などの組織で固められた選挙をして現職を破るケースが多い。

 

これは何を意味しているかというと、投票率が高くなれば自民党が困るという最近よく聞く定説は全くのでたらめであるということである。

 

55年体制の時代はこういうことがよく言われた。投票率が高くなると自民党の候補者は有利で、野党の候補者は不利であると。そして低投票率では野党が有利で自民党が不利だと。

 

これは、自民党の候補者にはもちろん強固な後援会や支持団体はあるのだが、そうした人たちは思想や信念で動いているのではなく、人情や利益で動いている。それに比べると総評という労組を支持母体の持つ社会党、創価学会の公明党、同盟の民社党、全労連の共産党は雨が降ろうが槍が降ろうが投票所に行く人々であるため、不在者投票制度のないその時代には、投票日に台風でも上陸しようものならたちまち野党の得票数が自民を上回る現象などが起きていた。

 

投票率が高まってやや有利な野党というのは新自由クラブや社会民主連合であったが、ほとんど風頼みの候補者は落選が多く、やがて自民党や社会党の一部組織に頼ったりあるいは復党したりしていた。

 

それが変わったのは90年代後半から2000年代あたりだが、それは新党が雨後の筍のように出てきたからであって、組織力を持たない政党の言い分が、

「投票に行かないとそれは自民党に有利にさせることになります」というお決まりの文句だった。

 

ところがそこから数年も立たないうちに55年体制の頃に完全に戻っている。古舘伊知郎氏などは今、やはり同じように「投票に行かないと自民党を信任していることになるぞ」と叫んでいるが、それはこの人が言わなくても、そもそもがその通りなのである。

 

なぜならば、たまに野党が勝つ原因というのは、投票率が高まって野党の票が増えているのではなくて、自民党を普段から支持し、または支持しないまでも自民党に投票している人たちが投票に行かないことが起きるからである。

 

よって、投票者を増やして浮動票を得て、政権交代だ!などと考えているのは大きな勘違いで、むしろ投票率が上がると自民党の票が増えるという開票結果はこれまでの選挙結果が示すとおりである。野党の票が増えたときというのは、自民党に普段投票する人がお灸を据えるために野党に投票し、他の圧倒的多数の人々は投票に行かないのが圧倒的に多いからである。多少の浮動票は入っても勝敗を決するまでの票数はない。

 

先日、自民党の石破茂元幹事長の証言でこういうのがあった。

 

さきごろ行われた衆議院補欠選挙の島根1区なのであるが、石破氏が隣県とはいえ島根に入って選挙運動で応援をしていたが、開票後に自民党島根県連の人たちを慰労しようと声をかけたらその県連幹部たちですら投票に行っていないということが判明したというのだ。

 

こうしたことはけっこう今までにも全国的に起きており、ようは自民党や自民の弱い支持者たちがどう動くかによって投票を決しているというわけであって、投票に行きなさいといくら呼び掛けても、それは場合によっては自民党を有利にさせるだけなのである。それを野党支持者たちは理解していないので「投票に行かないと自民党がのさばってしまう」などという被害妄想に包まれるわけである。それは93年の政権交代の選挙結果からも明らかだ。

 

このことは何を意味しているかというと、どれだけ自民党が悪政をしようとも、野党に政権を与えると、かつてのようなもっとひどい政権が生まれることを学んだということもあるし、なにしろ民主党はかつての自分らの政権の反省を一切せずにまた政権交代だなどと言っているのだから、支持しなくて当然だ。

 

しかしそれにもまして、野党の支持者たちは、この日本が基本的に自民党の理念によって成り立っているということを知らないことが政権交代をできにくくさせているのだ。つまり立憲民主党は、ほぼかつての日本社会党と変わらない状態が問題なのである。それは外交や安全保障において、昔の冷戦体制の左翼をイメージさせるようなことしかしていないため、昔の左翼や市民運動を素晴らしいと考えているごく一部の人しか、立憲・れいわ・社民・共産などを支持しない。それは極めて少数であり、どれだけ国民が貧困に陥っていても、彼らを信用しないのだ。それがいまや老齢化している。

 

若者が自民党を支持するというのはそういうところにある。かつては、若者は政権に盾突くものであり、左側に流れるのが当たり前だったのに、なぜ今若者の支持が自民党に集まっているのかを野党はよくよく考えるべきだ。

 

維新はその左側の枠組みには含まれないが、2000年代から行われた自民党の方向性、すなわち新自由主義志向なのであるが、これはもう古いということも理解していない。大阪府のローカルパーティとしては素晴らしいかもしれないが、国政でそれと同じことをするのが果たして改革なのだろうか。もっと新しい方法はないのだろうかと考えた方がよい。

 

いずれにしても、投票率が高まれば良い政治になるというのは間違いである。投票に行かないというのは、行かないなりに理由があったりする。必ずしもレジャーなどに溺れているわけではない。今では不在者投票制度があって、投票日以外にもふんだんに投票できる日数があるのだから、人々は意図していかないのであって、その結果自民党が政権を維持していたとしても彼らにとっては何の問題もないと考えているのだ。

 

それでは納得いかない、というよりも自分らの都合が悪い、それじゃ自分の飯のタネがなくなると考えているのが野党なのであって、きわめて自己都合なのである。お互いにそれぞれ政治主張というのがあって、それを戦わせるのが政治なのであるから、投票に行かない人を無理やり投票に行かせて、それが正義だなどと主張しているのは果たしてどうかと思う。

 

自民党の方々は自民党に忠実に、野党の方々はその野党に忠実にすればよい。国民はそれを決める権利を持っているのであるから、投票に行けとああだこうだと言うべきではないだろう。そして投票に行かせたところで、野党はむしろ不利になってきたこれまでのデータをよく知るべきである。