【自由編】怒り・憎しみ・妬みの政治勢力に警戒せよ | 国政報告 おおさか佳巨 福島県[県中]の生活

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世の中に必要なものは必要になります。
例え、今は笑われてもです。
限界が来るものについては、捨てなければ生きていけないからです。

 

『大衆の強奪』という本を以前読んだ。この著者は社会主義者であり、ソビエト連邦万歳の人であるので、その点においては共鳴できないが、この著書においてナチスが政権を取るまでにそれを阻止しようとしており、その心理的手法は極めて緻密にできている精巧な政治活動であったと感心した。

 

当時のドイツの政治的状況は、政権にあった社会民主党が金権腐敗などで政治不信を巻き起こしており、また第一次世界大戦での敗北に伴う賠償や領土の割譲など、国民は不満を抱き、やがてアドルフ・ヒトラー率いるナチスに啓蒙され、選挙でナチ党の政権を許してしまう。その結果、国民主権は失われ、ヨーロッパ各国が侵略されて、多くの人々が殺戮されていったのは歴史が示している通りだ。

 

ここにはドイツ社会民主党に対しての怒り・憎しみから始まっている。特権階級だけがのうのうと私利私欲に溺れているのに対して、倫理的に正すべきであるが、それと同時に羨望の面もあって、妬みという心理も働いていたと思われる。

 

この本の中で、著者であるセルゲイ・チャコティンはナチ党への得票を食い止めるべく、広報宣伝とそれを行う組織の動かし方を説明している。その手法が非常に優れていると思う。ただ、それが花開かなかった理由というのは、既存の組織たる社会民主党がその効果を認めながら実行力として乏しかったことにある。それはこの党が腐敗していることに要因があるのだが、これはまさに今の日本に照らし合わせれば自由民主党と言えるのではないか。

 

これまで、怒り・憎しみ・妬みの政党はあった。野党はその典型で、数年前からはれいわ新選組という政党が誕生し、街頭演説ばかりか国会の院内においても、品のない誹謗中傷を繰り返している。それが民主主義であると言えるが、そこに怒り・憎しみ・妬みという他者を排斥するエネルギーが働けば、たいていの人は引いてしまう。どれだけせっかくの良い提案をしたところで、このエネルギーは人間を不幸にするからだ。

 

 

一方で一部の人々はこうした不平不満に賛同し熱狂するものである。これは社会主義国では許されない行為であり、自由主義国ならではのもので、民主主義の発展には寄与しているとは言える。ただ、それが主流になってくると国の存亡は危ぶまれるのであって、それは歴史が示しているところだ。

 

かねてからは、こういう勢力は左派に限っていたのであるが、安倍晋三没後、いやその前からではあるが、右派勢力においてもれいわ新選組の右バージョンとも言える誹謗中傷、偏ったものの見方は横行し、「いったいこれのどこが人種差別なの」と自覚がないくらいにわからなくなってきている人はたくさんいる。宗教の妄信・マインドコントロールにもよくある現象であるので、他人が何を言っても聞かないのである。

 

とくにSNSの普及によってそれはさらなる拍車をかけた。私はインターネットが普及する前から政治活動を行い、政党支部や国会議員秘書をやったりしたが、ネット上の意見の出し方とリアルでのそれとはかなり隔たりがある。また現実の政治活動はもっと広範囲な意見を吸収したり、違う意見の人と対面でいろいろ話したりする。だがネットの政治論議にはそれがない。同じ思想の人々で固まり、違う思想の人々を容赦なく、思いやりなく、ただ叩く。いじめのような思考が徐々に植え付けられて、それが当たり前のこととして彼らの脳を侵していく。

 

ではどのようにすればよいか。まず、右や左に偏っている人々というのは、国民全体からすると右に二割・左に二割いないと思う。圧倒的多数の中間派・そうした論争とは一線を画した一般人というのは六割強はいるだろう。この無党派層とも言える人々が、あるときにどちらかに触れて、熱狂ブームに侵されたときが問題なのであって、この位置にいる人々がしっかりとした心構えができていればよいということである。

 

しかし、どうして右や左に振れるときがあるのだろうか。それは現政権が極めて腐敗臭を放っているときであり、それはまさしく今である。自由民主党が腐りきっているので、他の政党を選ぶようになるだろう。民主党政権は悪夢の政権ではあったが、あれはまだマシな方であって、さらなる危険を呼ぶことはありうる。れいわ新選組、NHK党、参政党などが議席をとれるような世の中になってきた。また先の衆院補選では日本保守党が諸派にしては好成績を収めている。以前はなかったことである。

 

特に右派勢力においては、かつては青年自由党や維新政党・新風などがあっても議席は取れておらず、相手にはされなかったが、ここ近年の安倍亡き後の岸田政権は右派勢力にとっては不満この上ないだろう。かつてはそれでもしょうがなく自民党を支持していた人々がそこから抜けて新たな政党を作ろうとして、そして一定程度の支持を得ることができるようになってきている。これについて自民党はよくよく考えるべきである。

 

現在は、社会党のような立憲民主党に政権を任せようとは思わず、自民党にお灸を据える程度に当選させることが可能である。ただ政権交代が可能な政治制度でなければ緊張関係は生まれないため、自民党に代わる保守政党を望む声もある。それが維新の会であるのならば良いが、そのような流れを食い止めるように新たなミニ右派政党が発生してきている。

 

私は百田尚樹氏や有本香氏は素晴らしい政治活動家だとは思うが、彼らを支持している人々のネットでの言論を読み聴きすると、怒り・憎しみ・妬みから発生した罵詈雑言と、他人に対する思いやりに欠けた発言で人の心としてどうかと思われるような意見が非常に多いと感じる。こういうところに危険性を感じるのだ。

 

れいわ新選組のような左派政党は、人への愛を売りにしているが、ケチをつけることが生きがいになっており、それ自体にエクスタシーを覚え、自己満足の世界に入っている。この党が政権を取ることはまずなく、やがて立憲民主党のような政党に吸収されるだろう。福島瑞穂党首の社民党もそうだろう。

 

ただ右派政党においては今後、政権を取る位置にまで来ることはありうるのではないかと思われる。それは独裁的な手法を取り始め、己の気に食わない者があれば徹底的に排除するというやり方をしているかどうかにかかっている。